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“ACTION IS A MESSAGE”あの日を経験した高校生の実力 東北復興新聞 3月7日(金)8時55分配信

語り部団体を立ち上げた田畑祐梨さん 未曾有の大災害に、果てしない復興の道のり。変化の見えない町並み。あの日を経験した中高生たちは、どんな想いでこの3年間を過ごしてきたのだろうか。 宮城県南三陸町で、語り部団体を立ち上げた一人の高校生がいる。志津川高等学校3年生の田畑祐梨さん(18)。「何も進んでないじゃないか」大人達への憤りを立ち上がるパワーへと変えた彼女は、1年間で3,000人に自らの被災体験と想いを伝えた。彼女はなぜ行動を起こし、続けることができたのか。そしてその先に何を見ているのだろうか。※本稿は書籍『3YEARS』から抜粋したものです。www.rise-tohoku.jp/3yearsまずもってかだっからきいてけさいん きっかけは、海外へ行ってみたいという想いからだった。中学3年生の時に被災し、その後約2年間何かの活動をしていた訳ではなかったが、高校2年の終わり頃、ある教育プログラムが田畑さんの目にとまった。「TOMODACHIイニシアチブ」*が提供するアメリカでのホームステイプログラムだった。*在日アメリカ大使館が主導する若者向けリーダーシッププログラム 震災直後、避難所で支援物資の仕分けの手伝いをしていた時のことを思い出した。世界中からさまざまな国の言葉で寄せられた支援や激励に感動した。震災の体験を踏まえアメリカで何をしたいかを問われた応募時のエッセイでは「語り部として自分の体験を、そして感謝を伝えたい」、そう書いた。 6割を超える住宅が全壊・半壊し、800名を超える犠牲者を出した宮城県南三陸町は、今回の震災で最も大きな被害を受けた地域の一つだ。しかし、田畑さんには2年近くがたっても町の復興は感じられなかった。自身の家のあった地域も、更地(さらち)が広がったままだった。「全然進んでいないじゃないか、大人たちは何をやってるんだ!って思ってました。でも考えて行くうちに、大人に任せてるだけで自分は何もやってないことに気づいたんです」。 アメリカでやりたいことと、その想いがつながった。自分一人ではできないと仲間を募り、同級生ら16人で中高生による語り部団体「まずもってかだっからきいてけさいん(地元の言葉で、とりあえず話すので聞いてくださいという意味)」を立ち上げた。震災からちょうど2年がたった2013年3月11日のことだった。

3000人に伝えた魔法の言葉 団体を立ち上げるといっても高校生。何から始めてたらいいか分からなかった。想いを文書にして、観光協会に持ち込んでみた。気仙沼に同じく高校生団体があると聞いて、面識は無いがツイッターで話しかけてみた。若者の行動を応援する団体のプログラムに応募もしてみた。すると少しずつ、道がひらけていった。 最初の語り部の相手は京都の中学校の生徒会の子たちだった。町の全貌を見ることができる高台の公園から、あの日のこと、これまでのこと、自身の被災体験を伝えた。ちょうど田畑さんが被災した時と同じくらいの年だったその中学生は涙を流し、引率の先生は田畑さんの手をとって「毎日の大切さが分かりました。ありがとう」と言ったという。語り部っていいな、そう思った瞬間だった。 田畑さんは、震災で自身の大切な人を亡くしている。幼稚園の頃から英語を習っていた、家から30秒のところにある塾の先生。第2のお母さんと慕っていた人だった。中学を卒業したらちゃんとお礼をしようと思っていたのに、彼女の名前が死亡者リストの中から見つかってしまった。ありがとうを伝えられなかったことを、心の底から後悔したと言う。「だから、語り部の際には必ず言うんです。あなたに大切な人がいるならば、『ありがとう』と『大好き』を今すぐ言葉にして伝えてください、って。誰も傷つかない魔法の言葉。病気も事故も天災もある。大切な人は当たり前にずっと存在するとは限らないから」。 地元の他の語り部団体の迷惑にならないようにと、語り部の対象を外国人と修学旅行生や学生グループなどの若者にフォーカスした。地元南三陸町で行うものに加え、招かれれば県外にも赴いた。関西で行った語り部では、自身のメッセージがより届くようにと、エンディングノート(最期のときのために想いや希望を書き留めておくもの)をつくるというワークショプ形式にもチャレンジ。参加者の1人から「あのあと手紙を書いて親に渡しました」と連絡が来て嬉しかったという。彼女の活動はメディアなどを中心に注目を集め、2013年3月の引退までに、3000人を超える人々に想いを届けた。

仲間がいたから、続けられた すべてがうまく行っていた訳ではない。震災時のショックでPTSD(ショック経験による精神的後遺症)と診断され、フラッシュバックがあったり情緒不安定になることもあった。自分のやっていることが本当に意味があるのか、自信を無くして動けなくなることもあった。そんな時に支えとなったのが、東北各地でそれぞれの行動を起こし始めていた同志の若者たちだったという。 中でも「親友にして最大のライバル」と話すのが、気仙沼で観光を盛り上げる高校生団体「底上げYouth」を立ち上げた阿部愛里さんだ。団体を立ち上げた直後にツイッター話しかけたところ、すぐに気仙沼から南三陸まで会いにきてくれた。町を案内したら、南三陸は綺麗なところで好きだと言ってもらい、それから友達になった。お互い活動をしてるからこそ共有できる悩みがあり、競争できる関係だという。「愛里がいなかったら絶対に続けられなかった。もしあの日に彼女に話しかけてなかったらって今でも思います」。雨の日も雪の日も、想いを伝え続けた 今を、生きる 彼女は、ブログやFacebookを通じて積極的にその時々の想いを発信している。素直な文章が本当に素晴らしく、彼女らしさがダイレクトに伝わってくる。2013年の終わりに書かれた1つのポストをそのまま紹介したい。ーーー この1年大変なこと、つらいこと、悲しいこと。たくさんありました。こんなに頑張ったんだから、サンタさん奮発してよね!ってかんじです。活動をしたら、友達と遊ぶことはできませんし、映画を見に行くこともできません。「何かをするということは、何かを捨てることだ」 結局そういうことです。ですが、私は後悔していません。 活動の分、私はたくさんの人と出会うことができ、素敵な仲間ができました。「勉強と活動を両立できないなら、やめてしまえばいい」という団体を立ち上げたときにノートに書いたことにも負けることなく、受験期間にも活動をしていました。(バカだって知ってますので、バカって言わないでください。泣) 私は今を生きていたいなあって、思ったんです。明日死ぬなら、私は勉強よりも、伝えることをしていたい。ーーー

“チャンスハウス”をつくる夢 話をしていると、全ての質問に自信を持ってよどみなく答える彼女。将来の夢についても、具体的なイメージとともにたっぷり話してくれた。「子供たちが平等に夢を追いかけられる場所をつくりたいんです。東北のどこかにツリーハウスのような学びの場をつくって、そこに世界中から子供を呼んで、日本の文化を伝え共に学んでもらう。東北自慢の一次産業の体験学習や、防災教育ができる。英語もここで学べるんです」。 彼女はその場を「チャンスハウス」と呼んだ。「子供はみんな自由で一生懸命で、夢を持って冒険家で。素敵じゃないですか。でも、都市と地方、日本と外国、場所や境遇によって、夢を追うために与えられる機会が違う。それは不平等だと思ったんです。私は幸運にも幼稚園の頃から英語を勉強する機会をもらって、今回アメリカにも行かせてもらえました。でも一方で、そういう機会に巡り会えずに、夢をあきらめてしまう人もいます。だからみんなに平等に、夢を追う機会=チャンスを持てるようにしたいんです」。 夢の実現へ向けて、田畑さんは既に構想を膨らませている。子供たちの夢をリストアップして形にしよう。それを元に企業に提案して一緒に学習プログラムをつくろう、一緒に夢を実現するプロジェクトを始めよう……。きっと遠くない将来に何かの形になっているのだろうと期待させる何かを、彼女は持っている。彼女のこれからの活躍に期待したい 一生懸命、キラキラ輝くために 5年後10年後、どんな人になっているのだろうか?憧れている人について聞いてみた。「いつまでも、何かに一生懸命でキラキラ輝いていたいです。こないだ、カナダの社会起業家のメアリーゴードン*に会う機会があったんです。突然歌を歌い出したりすっごく破天荒で、エネルギッシュで。あなたは誰なんですかって聞いたら『私はチェンジメーカー』って。すっごくカッコよかったです」。*心の教育のプログラムを提供する「ルーツ・オブ・エンパシー(Roots of Empaty)」創始者。 震災の体験が、今の彼女の感性や行動力、情熱にどのように結びついているのかを分析することは難しい。震災がきっかけとなり、元々持っていた想いや力が開いていった、という方が正しいのかもしれない。いつか彼女は言っていた。「私じゃ駄目だ、誰かがやってくれるって思ってた。でも立ち上がって一生懸命やってみたら、色んな人が助けてくれた。たくさんの素敵な人たちに出会って、自分の夢を見つけることもできた。見える世界が、ガラっと変わったんです」。彼女の好きな言葉は「ACTION IS A MESSAGE」。活動を始めた後に出会った、尊敬する人のものだそうだ。彼女にとって重要だったのは「あの日」ではなく、その後の行動する日々だったということだろう。 最後にもう1度、彼女の言葉を引用させてもらって、この章を終わりにしたい。心からのリスペクトを込めて。ーーー「なんでそんなにみなみさんりくが好きなの?」って聞かれたことがあります。それは、空気だったり、星空だったり、海だったり、人だったりですね。空気が澄んでいて、満点の星空があって、憎いけど大好きな海があって、歯食いしばって頑張っている人がいて。どこよりも「生」というものが、感じられるからかなあって思ってます。 空気が澄んでいるのは、汚すものも人もいないから。星空がきれいなのは、光がないから。一生懸命、それぞれが生きているんじゃないでしょうか。人も自然も。一生懸命が一番素敵です。きらきらしています。 私は、町の人たちのキラキラした笑顔が、もっともっと見たいです。ここまで書いたけど、はっきりした理由は見つからないんです。でも、好きなら好きでいいんじゃないでしょうか。私は、南三陸に生まれたこと、あんなすばらしい町の人たちと出会えたこと、誇りに思います。みなさん、やり残したことはありませんか。今年中ではなくて、今日終わらせてください。ーーー

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