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Scene2

宮城県の被害

 

 

 宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。 津波の被害としては、浸水面積327㎢と浸水域の人口約33万人はともに3県最大だったため、宮城県のみで阪神・淡路大震災を上回る犠牲者を出した。

 

 県北部は岩手県中南部沿岸と同様に津波高の増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤や防潮堤)が成されていた。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。

 

 県中南部は単調な海岸線であったが、水深の浅い仙台湾で津波の速度が落ち、後の津波が追い付いて津波高が増した。速度が落ちたため、襲来まで1時間あったが、北部に比べて中南部は過去の津波が数百年前であり、住民の意識が低い中で想像だにしない津波に襲われた。平野が広がっていたため数キロ内陸まで浸水し、甚大な被害を受けた。

 

 気仙沼市では、介護老人保健施設「リバーサイド春圃」で59人が、杉の下地区の住民が避難した海抜12mの高台で93人が亡くなるなど、1,350人以上が犠牲となった。また、津波により漁船用燃料タンクが倒壊して広範囲に重油が流出して出火、大火災が発生し夜通し燃え続けた。火が付いた大量の瓦礫が気仙沼湾内を漂い、東北最大の有人島である大島にも燃え移り、陸の孤島となっていた島では島民達が総出で延焼を食い止めた。

 

 南三陸町では、3階建ての防災対策庁舎の屋上まで水没するなど町職員42人が、5階建ての公立志津川病院も4階天井付近まで水没し、入院患者107人中72人と職員3人が亡くなった。また、海抜15mの高台にあった特別養護老人ホーム「慈恵園」も1階が水没して49人が亡くなるなど、850人以上が犠牲となった。

 

 女川町は震源に最も近いリアス式海岸の町の1つであり、猛烈な津波が町を襲い、中心部は海抜20mの高さまでほぼ水没し、強い引き波により鉄筋の建物の倒壊も目立った。指定避難所であった町立女川病院(女川町地域医療センター)は、海抜16mの高台にあったにもかかわらず、1階が完全に水没した。七十七銀行女川支店では屋上に避難していた行員13人が流され12人が亡くなるなど、犠牲者は約900人であり、浸水域人口に対する犠牲者率は当震災において最大の11.97%であった。一方で5階建ての生涯学習センターでは、屋根付近まで水没したにもかかわらず、鉄扉で密閉され窓もなかったボイラー室に避難した30人弱が無事であった。

 

 石巻市は、本震災最多の3,700人以上の犠牲者を出している。市内北東部、リアス式海岸に当たる旧雄勝町、旧北上町、旧河北町の沿岸はほぼ完全に壊滅した。3階建ての雄勝病院は完全に水没し、入院患者と職員の65人が流されて生存者は3人、北上川の河口北側にあった石巻市北上総合支所では職員と避難者合わせて57人のうち生存者は3人だけだった。津波はその北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡上し、5キロ上流に位置する石巻市立大川小学校(旧河北町立)では徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった[58][59]。

 

 市内南部が旧石巻市であり、岩手・宮城・福島では最大規模約12万人の市街地が海に面して広がっていた。 このため犠牲者数も多く、また市内各地で身動きの取れない渋滞が発生し、そのまま津波に飲まれる者も多かった。前市長であった土井喜美夫[60]も犠牲となった。

 

 東松島市では市域の36%が浸水した。野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロ弱を横断し、西側の松島湾に流れ込んだ。特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅し、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。

 

 多賀城市は、仙台市のベッドタウンであり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川河口のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞している所、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。

 

 仙台市は104.7万人(2011年3月1日推計人口)[61]を擁する政令指定都市であったが、沿岸部の仙台平野の大部分が開発が制限される市街化調整区域であり、田園地帯が広がっていた[62]ため、人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である若林区荒浜地区や宮城野区中野蒲生地区が壊滅し、また仙台港一帯の工業地域や商業地域を中心に、800人以上が犠牲となった。若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3 - 4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。

 

 名取市では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった閖上(ゆりあげ)地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。 閖上大橋が死亡事故により通行止めとなり、地区内で渋滞が発生し、犠牲者を増やす要因ともなった。仙台空港の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。

 

 岩沼市は市域の48%が浸水し200人弱が、亘理町でも町域の48%が浸水し300人弱が犠牲となった。仙台市や名取市同様に中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部の集落が壊滅した。 亘理町では元女子サッカー選手の佐藤恵利子[63]も犠牲となった。

 

 山元町では町域の38%が浸水した。養護老人ホーム「梅香園」と併設するケアハウスで82人が犠牲に、常磐山元自動車学校の送迎バス5台が津波に飲まれ、教習生と教官の39人が犠牲になる[64]など700人弱が犠牲となった。

 

 この他に、七ヶ浜町でも甚大な被害を受けた。一方、松島町や塩竈市は周辺の自治体と比較しても被害が軽微であった。これは浦戸諸島とその奥にある松島湾内の島嶼群が津波の威力を緩和、分散したためと推測される[65]。ただし、あくまでも周囲に比べれば軽微だったというだけであり、家屋の浸水や犠牲者が発生した事に変わりはない。

 

 

「東日本大震災」の書誌情報

項目名: 東日本大震災

著作者: ウィキペディアの執筆者

発行所: ウィキペディア日本語版

更新日時: 2013年8月1日 22:33 (UTC)

取得日時: 2013年8月2日 13:36 (UTC)

版指定URL

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主な執筆者: (改版集計情報)

項目の版番号: 48672844

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